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伊奈町の文化財

町指定記念物(史跡) 伊奈熊蔵忠勝の墓

500年の歴史を持つ古刹 願成寺 に眠る 伊奈忠次公の孫 忠勝

伊奈氏の3代目 伊奈熊蔵忠勝は、元和5(1619)年8月16日に僅か9歳で夭折し、伊奈家の菩堤寺である同寺に葬られました。伊奈熊蔵忠勝の墓は、昭和43(1968)年3月1日に伊奈町指定文化財となりました。

 

戦国時代に創立された小室庵を起源とする願成寺

浄土宗 八幡山地蔵院願成寺(がんじょうじ)は、本尊に阿弥陀如来坐像(像高約62cm)を安置しています。

創立は永正2(1505)年、如忠上人が小室宿の山中に小室庵(阿弥陀堂ともいわれる)を建てたとされます。文禄3(1594)年、伊奈備前守忠次公が現在の場所に移し、寺号を願成寺と定め、勝願寺(埼玉県鴻巣市)の末寺となりました。

 

 

 

 

9歳で夭折した伊奈氏の3代目 伊奈熊蔵忠勝

伊奈町指定記念物(史跡) 伊奈熊蔵忠勝の墓

この地に眠る忠勝は、伊奈忠次公の孫にあたります。

伊奈氏の嫡男(跡取り)は代々「熊蔵」を名乗ります。忠勝は慶長16(1611)年に生まれ、熊蔵の名前を世襲しました。幼少のときから徳川家光の相手役を務め、元和4(1618)年、父・忠政の病没によって遺領を相続し、8歳で伊奈家の当主となりました。しかし、翌年、病のため若干9歳で夭折しました。法名を「廓然院殿見桐生蓮信男」と号し、願成寺に葬られました。

 

9歳という若さで没したため、世継もなく、また、養子を迎えることもできないため、伊奈家は断絶し、1万3千石(1万石とも)の所領は収公されました。しかし、多大な貢献を残した伊奈家の断絶を惜しんだ幕府によって、小室郷の旧領1180石余が忠政の末子・忠隆(5歳)に与えられ、小室領伊奈家として復興し、旗本に取り立てられました。代官頭(関東郡代)の要職は、赤山(現・川口市)に伊奈家の別家を創設した忠次の次男忠治が継ぎました。


祖父・忠次、父・忠政は、願成寺の本山、勝願寺(埼玉県鴻巣市)に葬られました。何故、忠勝の墓が願成寺になったのか詳らかではありません。詳細は不明ですが、忠勝を守るように一族等の墓も同じ一角にあります。

 

所在地

埼玉県北足立郡伊奈町小室1821 (願成寺内)

その他 願成寺の墓所の一角にあります。
文化財指定 伊奈町指定記念物(史跡)
昭和43(1968)年 3月 1日指定