伊奈町シティセールス担当者からのお知らせ
こんにちは!シティセールス担当です。
2019年に創設された、伊奈町の魅力を広く町内外に発信し、知名度の向上とイメージアップを推進する活動等を行う「伊奈町魅力発信大使」。
町制50年の節目に、盆栽作家の木村正彦先生とマリンバ奏者の坂口璃々己さんの2名が新たに伊奈町魅力発信大使に委嘱されました。
2021年7月20日の委嘱式を終えたばかりのお二人へのインタビューを2回に渡ってお届けします!
今回は、盆栽作家の木村 正彦(きむら まさひこ)先生へのインタビューです。
重厚な逞しさを湛える盆栽と木村先生
インタビューをさせていただくことになって、取材班で、打ち合わせを重ねました。木村先生の盆栽への熱い思いを伝えられる記事になっていればよいのですが……ぜひ最後までお読みください。
1940年生まれ。旧大宮市出身。盆栽作家としての独立をきっかけに伊奈町に活動の拠点を移す。年に1回開催される盆栽作家が技を競う大会では、最も評価の高い内閣総理大臣賞を27回受賞。2001年に文化功労、翌年には厚生労働大臣表彰の「卓越 した技能者(現代の名工)」、2006年には黄綬褒章を受章。盆栽作家とし て腕を振るう一方で、一つの盆栽に自然を題材とした景色を再現する「創作盆栽」という独創的な世界を確立。木村先生の作品は海外でも人気を博してお り、講師として世界各国でその魅力とその奥深さを広めるなど、世界を舞台 に活躍しています。
ーーお母様が先生の手先が器用ということに気が付いて盆栽の世界に入ることになったと伺いました。
「それもあったと思います。ただ、私は長男で、下に妹が3人いました。父親が早くに亡くなり、当時は母親ひとりで子どもを4人育てるのはとても大変な時代です。ですから、食い扶持(くいぶち)を減らすために1人でもいなくなればと奉公で、この世界に入ることになりました(笑)。母親は、私が盆栽が好きだったと気が付いていたかもしれませんが……。いずれにせよ、当時はまだ15歳。盆栽の価値はまったくわかりませんでした。とりあえず、盆栽の師匠から『10年は面倒を見る』と言われたので、弟子入りすることに。10年後、師匠から『10年経った。あと1年お礼奉公だ』と突然言われ、結局11年修行をしました」
ーー長い修行期間ですね。修行後はそのまますぐに盆栽作家として活動をはじめたのですか?
「11年やってもすぐに独立できるわけではありません。盆栽園を開業するには広い土地が必要ですから。そもそも育てる盆栽もないですからね。弟子入りしていた11年間は食べさせてもらっていましたが、修了してからは何もありません。家に帰るわけにもいきませんので、盆栽とは別の仕事をしました。麻布十番で胡蝶蘭のような高級な花を売る店、ホームセンターなどに園芸用品を卸す仕事、学校や会社に観葉植物を販売する仕事、そういった経験を積み重ねながら、盆栽作家として身を立てるための資金を集めました。盆栽作家として活動を始めたのは30歳頃からです。師匠の元を修了してから、かれこれ約4年間は別の仕事をしていたことになります」
ーー盆栽のほかにされてきた仕事のように、新しいことに着目する点は盆栽づくりも同じなのではないですか?
「盆栽でも、今までやってきたこと、その手法を守っていくことも大切です。けれども、それだけでは面白くありません。自分の世界をつくるように新しいことをやっていかなければなりません。そのためには日々勉強です。自然に目を向けることを意識しています。ここで勉強になるのは海外の自然です。今は大きく変わってしまいましたが、長江の流域の三峡の自然(※)などを参考にします」
※編集部注:三峡(さんきょう)=中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。長江流域の三峡の下流部分には国家的事業である三峡ダムが建設され、三峡の景観や環境が大きく変化したといわれている。
インタビュー中の木村先生
木村先生 ご自宅の庭
ーー先生が海外のお弟子さんを迎え入れるようになったきっかけは何ですか?
「世界中から依頼があるんです。世界中の盆栽好きで私を知らない人はいませんから(笑)。例えば、ロシアの方は盆栽のカレンダーを見て、盆栽に興味を持つそうです。イタリアの方は、私の弟子の盆栽教室を経験し、この道で生きていきたいと考える方がいるようです」
ーー何名ほどのお弟子さんがいらっしゃるんですか?
「年に10名ほどでしょうか。希望があります。ただ、修行期間の6年かからず帰国してしまう人もいます。なぜなら、弟子としてとる前に、いくつかのステップがあるからです。まずは盆栽を【真剣にやる気があるのか】を見定めます。次に、いくらやる気があっても才能がないといけません。ですから、せっかく弟子になりたいと私の元に来ても、3分の1くらいの方には途中で帰っていただきます。そういった方にどれだけ教えてもダメですから。超一流になれなくても、一流になれればいい。一流にもなれないのでは弟子にはできません。そういった生まれ持ったもの、センスの有無を見定める期間が3か月。3か月でセンスのない方には帰っていただいています。厳しい世界かもしれません。ただ、自分の弟子として、途中で脱落するような弟子はつくりたくないのです。なので、今まで何人くらいの弟子をとったかは覚えていません。今言ったように、途中でお帰りいただく方もいますから。ただ、私が弟子、後継者と認めた弟子は、30人ほどおります」
ーー先生はどういった志を持ってお弟子さんの指導にあたられているんですか?
「毎日が勉強です。それは、盆栽だけの話ではありません。世界中の首脳にもお会いする機会があります。なので、人間としてのマナーを身につけてもらえるように人間教育をしています。ただ、多くの場合、先輩の弟子が後輩の弟子を指導しています」
木村先生とお弟子さん
ーー今後の目標や展望はありますか?
「世の中をあっと驚かせるような作品をつくり続けることです。あとは、若い弟子と一緒にやっていますから、『若い者には負けない』という気持ちでやっています。あとはやはり、町の魅力発信大使になりましたので、高齢者、若い人に何か趣味を持っていただき、盆栽を育てる過程を楽しんでもらう活動がしたいですね。例えば小学校では現在、アサガオをよく育てていますが、あれはみんな同じように育ちますよね。盆栽は自分の好きなように形をつくっていくものです。ですから、個々の感性でつくって、1年で枯れるわけではありませんから、3年生から6年生くらいまでの間で育ててもらって、成長の過程を楽しんでほしいです。盆栽は早く言えば完成がありませんから……」
ーー最後にご自身を振り返って、いかがですか?
「根っから盆栽が好きなんでしょうね。盆栽は二つとして同じものはありません。ですから、こういう道に母親が入れてくれたのか入れてしまったのか。けれど、今になってみたら、また、同じ道を選ぶと思います。盆栽以外で生計を立ててきました。盆栽よりもっと楽に儲けられます。ですけど、そうではなく、盆栽の道を選ぶと思います」
ーー本日は貴重なお時間、ありがとうございました!今後も伊奈町魅力発信大使として、よろしくお願いいたします!
インタビュー中の木村先生
木村先生と代表作「登龍の舞」
先生のキャリアを拝見し、インタビュー前はとても緊張していました。これが正直な感想です。インタビューを始めると、木村先生は、つたない私たちの質問にも、時折笑顔を見せながら、丁寧にお答えくださったので、私たちの緊張は少しずつ和らぎ、色々なお話を伺うことができました。
木村先生の言葉から感じたものは、何よりも盆栽への厳しい眼差しと盆栽への溢れる愛情。「生まれ変わっても盆栽の道に進む」、「伝統を守ることと同じく自分の世界をつくるように新しいことをやっていかなければならない」という言葉には、長いキャリアの中で積み重ねた経験と、幾多の労苦があることを感じました。
2020年……伊奈町は、1970年の町制施行から50年を迎えました。
1970年、ちょうどその頃は木村先生が盆栽作家として活動を始められた頃でしょうか。50年以上のキャリア、私たちには全く想像も及ばない年月です。インタビューを終えて、思い浮かぶ言葉は「求道者」です。盆栽の道を極めていく、その道程は素人には到底分からないことも多くあるでしょう。ですが、今回のインタビューで盆栽作家・木村正彦先生が世界的盆栽作家として活躍される所以の一端を垣間見ることができた気がします。
若輩の私たちのインタビュー取材を快くお引き受けいただいた木村先生には、この場を借りて改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
(取材スタッフ一同)
※本企画は、伊奈町役場関係課及びいなナビの共同企画として実施しております。
また、感染症対策を十分に講じたうえで、取材を実施しております。