おでかけするならここ! 伊奈町のおすすめスポット
伊奈氏屋敷跡 〈伊奈町の名前の由来となった伊奈忠次が築いた屋敷跡〉
ニューシャトル丸山駅そば 400年以上にわたる歴史が残るミラクルゾーン
2018/03/05
忠次公が歩いた道を散策できる伊奈町の歴史ゾーン
緑に囲まれたエリアが伊奈氏屋敷跡(空撮)
伊奈町という名前は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した伊奈忠次(いなたたつぐ)公に由来しています。
伊奈忠次は徳川家康の命を受け、天正19(1591)年に「小室丸山」にあった無量寺閼伽井坊の屋敷を接収し、陣屋としました。その建物は現存しませんが、広大な屋敷跡として今も残されています。
東西約350m、南北約750mの楕円形の伊奈氏陣屋跡には、当時を偲ばせる地形や名称が伝承され、400年以上前に忠次公が歩いたであろう道も残っています。
昭和 9(1934)年 3月31日には埼玉県指定記念物(史跡)になりました。
埼玉県指定記念物(史跡) 伊奈氏屋敷跡 小室陣屋内部の図(個人蔵)
★おすすめ情報★
忠次公が歩いた道を辿ってみよう
現代の空撮写真と当時の屋敷絵図を見比べると当時の道とほぼ一致します。舗装などの整備はされていますが、見通しの悪い曲がりくねった道や湿地を利用した堀、小高い土塁などの地形はそのまま。
400年以上前に忠次公が歩いたであろう道を、当時の様子に思いを馳せながら歩いてみてはいかがでしょう。
裏門跡から曲がりくねった道を歩いて二の丸跡、そして表門へ
裏門跡の障子堀
縁石で堀の形がわかる、現在の障子堀跡
ニューシャトル丸山駅の東側、大宮駅方向に少し戻った場所に裏門跡があります。
陣屋は小高い土塁で囲まれ、沼で土塁が築けない部分は堀で防御されていました。裏門跡の草地の下には保護のため埋め戻された堀が埋蔵されています。堀の外周に沿った縁石が目印となって、大きさと形が確認できます。
この堀は障子堀といい、幅約5m、深さ約2m、高さ約1.5mの土塀で区切られた障子のような構造をしています。底は沼地で、障子堀の中では移動もままならず、身動きが取れません。このような障子堀が残る場所は数少なく、貴重な史跡です。
裏門跡 草地の下には貴重な障子堀が埋蔵されている
発掘時の障子堀(現在は保護のために埋め戻されている)
400年以上の昔と現在が重なる曲がりくねった道
くねくねと曲がった道。軍事的な理由で城下町でもよく見られる
頭殿社
左側は高低差が良く分かる
裏門跡から舗装された道なりに進んでみましょう。
上り坂になっており、陣屋が丘陵地帯の高みに築かれたことが感じられます。陣屋の周囲には防御のための土塁が築かれています。付近には家康を祭ったとも言われている頭殿社があります。ここは土塁の際にあり、高低差が良く観察できる場所です。
二の丸跡から表門へ
二の丸跡の碑
裏門跡から道沿いに進むと、本丸跡(現在は民家や田畑)を過ぎ、二の丸跡の碑、そして、表門の案内に出合います。屋敷跡の絵図を見ると頭殿社のそばに本丸跡とありますが、本丸と二の丸の範囲はよくわかっていません。なお、二の丸跡の碑の背後にある土砂は土塁跡ではなく現代のものといわれています。絵図では表門の周囲に堀と土塁が描かれていますので、表門は案内板より先の堀に沿った土塁の切れ目にあったものと考えられます。現在もこの付近にはかつての堀跡と思われる沼が延びています。
表門の堀に該当する部分に残る沼
沼の先に表門が存在した
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伊奈氏屋敷跡は、江戸時代以前の戦国時代から安土桃山時代の土塁と堀を中心とした陣屋を彷彿とさせる地形、そして名前が残っている全国的にも貴重な歴史ゾーンです。公道は舗装され、歩きやすくなっています。ぜひ400年前の歴史を想像してみてはいかがでしょうか。
所在地 | 埼玉県北足立郡伊奈町小室185ほか |
アクセス | ニューシャトル丸山駅より裏門跡まで徒歩5分、二の丸跡まで徒歩10分 |
駐車場・駐輪場 | なし |
トイレ | なし、丸山駅の外にトイレ(車イス、ベビーチェア・シート対応)あり |
売店など | なし、丸山駅に売店や自動販売機あり |
お問い合わせ | 伊奈町役場 生涯学習課文化財・町史係 電話: 048-721-2111 |
公式ページ | 埼玉県指定史跡 伊奈氏屋敷跡 (伊奈町公式ホームページ) |
※伊奈氏屋敷跡のほとんどは民有地です。見学の際には地元の方々の迷惑にならないようお願いします。