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伊奈町の文化財

町指定民俗文化財(有形民俗) 花車・神輿

当時の人々の期待の大きさと団結の強さを物語る大切な文化財

伊奈町に唯一残る花車(だし)と神輿(みこし)が志久公民館に保管されています。神輿は4尺神輿と言われる大型のもので、明治16(1883)年に造られました。山車は明治29(1896)年に造られたものです。この山車と神輿は当時の人々の期待と団結の強さを物語る証人とも言え、伊奈町の記憶に残る大切な文化財です。花車・神輿ともに、昭和56(1981)年 1月20日に町指定となり、志久公民館に大切に保管されています。開帳は特別な機会に限られ、通常は見学できません。写真は飾り付けなどのない保管状態のものです。

志久公民館に保管される伊奈町唯一の花車と神輿

ニューシャトル志久駅から徒歩15分ほどの志久公民館。東北新幹線の高架がすぐ近くに延び、時として新幹線の轟音が響きます。ここの敷地内には花車と神輿と共にもうひとつの伊奈町の文化財「薬師如来像と十二神将像」も保管されています。

邪気も退散する真っ赤な肌に眼と牙は金という縁起の良い獅子頭

神輿の前に据えられた縁起の良い志久の花車の獅子頭

花車(だし)は山車とも言われ、獅子頭などを乗せた装飾が施された屋台です。祭礼などで町中を引き回して練り歩きます。志久の花車は邪気も退散しようという真っ赤な肌の獅子頭を抱いています。眼や牙は金という縁起の良いものです。

現在残されている資料には「明治29(1896)年 3月花車新調仕払簿」とあるのみで、発起人、制作者ともに不明です。当時の書き付けから、米1升16銭の時代、200円以上の費用が掛かっていることがわかります。花車新調のための資金集めに、大変な苦労があったことが偲ばれます。花車は長い間の使用で傷み、昭和55(1980)年に修理されました。

唐獅子と昇り龍の勇壮な彫金仕上げ 重厚で豪華な4尺大神輿

明治16(1883)年に造られた豪華で重厚な4尺大神輿

明治16(1883)年 加藤権九郎が発起人となり、当時の北足立郡堤崎村(現上尾市)の棟梁吉澤初五郎と大谷本郷村の彫師山田弥吉に依頼して制造された大型の神輿です。神輿の内部の木札に制造者の名前が残っています。

江戸神輿では細いスマートな胴に木造彫刻・漆仕上げを良く見かけます。志久の神輿はずっしりとした重厚な胴に金属を打ち出した彫金仕上げの唐獅子、柱は昇り龍と勇壮な姿。屋根には志久の頭文字をとった「志」の字をまとっています。全高約170cm、全幅約130cmと大型の神輿です。その大きさと装飾に当時の人々が込めた願いの大きさを感じることができる文化財です。昭和56(1981)年に修理されました。かつては伊奈町でも神輿が何基か存在していたようですが、現在は志久の神輿だけが残っています。

胴は彫金仕上げ 唐獅子と昇り龍の勇壮な姿

神輿の内部には制作者の名前が残る

屋根には“志”の文字をまとう志久の神輿

重厚な胴と豪華な飾りの数々

人々の期待と団結の強さを受け継ぐ志久の夏祭り

志久の神輿は幅約130cmの4尺神輿、いわゆる百貫(約270kg)神輿とも言われる大変重量のある大神輿です。現在の大人神輿は台座(台輪)が2尺(60cm)から3尺(90cm)が主流です。4尺(121cm)以上の大神輿は数少ない貴重なもので、巡行には交代を含め200名から300名以上の担ぎ手を集めるものと言われています。

これだけの豪華な大神輿が造られた背景には、人々の団結の強さがあると言えるでしょう。平成28(2016)年の夏祭りでは、20数年ぶりに神輿の町内巡行が実現し、この大神輿を60名で担いだそうです。神輿の重さもありますが、歴史と地元の期待の重さも合わせて実感されたのではないでしょうか。

 

所在地  埼玉県北足立郡伊奈町小室6006(志久公民館内)
その他 志久公民館の敷地内に保管されています。一般には見学できません。
文化財指定 伊奈町指定民俗文化財(有形民俗)
昭和56(1981)年 1月20日指定